中国の男娼 ”相公(シャンコウ)” 永野白楊 発表年:1952

基本情報
作者:永野白楊
奇譚クラブ 1952年8月号 P119-P121 掲載
パブリックドメイン :保護期間満了の為

タイトル
中国の男娼 ”相公(シャンコウ)”

本文
 これは中国の暗黒社会で行われている男色を売る少年の話である
 この男色を売る少年を指して、上海辺りでは相公と称していて、今尚お流行している、尤も今は昔のように盛んではなかつたが、それでも、盛んに薄暗い路次などの廓の家に立て籠り、可なり大規模に組織的に跳梁しているのは事実である。昔日本の野武士共や今の学生間の一部にも、美少年を愛するという傾向はあるがそれは所謂、変態性慾として取扱われる同性の愛の実現に止まり、男色を売つて生計を営むと云う此の相公とは自ら世界が別で、それは今少し夢幻的神秘的のものである。然るにこの相公なるものは、此の夢幻神秘の殻を破り、黄白を朝夕枕を代え、同性の男に身を任すのでその裏面には、目を円くして聞くような奇談珍聞が多くある。
 × ×
 相公はその営業の性質上眉目秀麗の美少年が必要であるのはいう迄もないことであるが、彼等は男であつてその実、全く女である、只、着物と足だけは仕方がないとして、その弁髪を垂らし(今は前髪をしたものが多いが)之れを美しく梳つて油気の失わぬよう手入れをして、顔には脂粉を絶やさず、外出の時はいつも懐中鏡を携帯し時々之を取り出しては、紙白粉かなんかでお化粧をする。又手には香水をまいたハンカチを持ち女のようなお尻の振り方をして楚々として歩を運ぶ様子等は全く女の盛装したものとしか受け取れない。
 そして物云う時も女のような嬌態を作り、一寸横目で秋波を送つてあまれかかつたり
 時には寄席で多くの見物を前に控え、平気で黒色い声で花鼓歌を唄つたりなどする姿などは全く女性そつくりで、そこらの山出しの女等はその容色に於いて、そのチヤーミングな点に於いてとても彼等の足許にもよりつけない。
 彼等自身が優しく美しく且つ女性らしらをもつて密かに得意とするという心理状態の女性化は、やがて、その言行をして之れに做しめているのは又己む得ないかも知れぬ。殊に驚かされるのは同じ堂内に於いて彼等が互に姉妹と呼んでいることである。
 例えばその堂に十人の相公が居れば互に十姉妹と称し、五人なれば五姉妹と唱え、若し、茲に菊という名の年少者が居るとすれば、年長者は此の年少者に対して菊妹と呼び菊妹は年上の少年を姉さんと呼ぶ。
 常識を外れた非人道の事をなすように子供の時から訓育せられた彼等相公としては、こんな風に呼ぶことは何の不思議もなかろうが、常識の亡びない社会人には全く気狂い沙汰としか受け取れない。
 それよりも、もつと酷いのは彼等の痴話喧嘩である。
 寄席に於いて公衆の前をも憚らず、彼等同類が焼きもち喧嘩をすることがあるが、その焼もちの対象は勿論男で、丁度芸娼妓等が互に一人の旦那を競争するように、相公同士がその好きな男を心の中で争つてみたり変な眼つきで恋敵を睨めつけたりなんかする事もあり時には潜在している男の力が発現して殴り合いをする事も少なくない
 「なんだいこの汚れ女郎」「腐れ尻」というかと思えば、
「好いた同志よ」「やかないでもいいわ」なんてまるで女同志の痴話沙汰同様で、室外で聞いたら、とても男性の会話とは受け取れない。
 そして甲の客を乙が横取りすれば甲は乙に対して姦婦と呼ぶから振つている、即ち「此の間男奴が」と怒罵する。尚、此の姦婦一件に就ては、やれ取つたとか、取らぬとか、いや取つたんじあない私が惚れられた被害者だから私には罪がないなんて事をクドクドと喋つて、其の是非曲直を公衆に訴えると云う頗る擽ぐつたいような濡れ場の喜劇を実地に演ずることもある。
 北京あたりの四花亘即ち女形の多くは此の相公の後身だそうだが成程これ程女性化した相公に女形も立派に勤まることであろう。
 さてこんな風に本来の男性を撓めて一人前の立派な社会的な女性とするにはどんな訓育やら圧迫を加えるか即ち相公を製造する方法を簡単に記して見よう。
 × × ×
相公堂を組織する原則は自ら二つになつている。其の一つは対内即ち、相公の製造で其二は対外即ち相公の営業である、何れの相公堂も此の二原則を無視しては成り立つものではない。
 × × ×
 汚い服装をしたヨボヨボの爺さんが「小児売升」とふれて、二三才から五六才位迄の子女を或は籠に入れ或は手を引いて市中を売り歩いて居るのをよく見かけることがある。その中の嫖緻のいい女の子は大抵娼妓屋に買われ、そして可愛い息子は相公堂の強欲爺の手に買収せられる、値段は矢張り質のいい年の多い少年が高いが普通先ず大抵二三元から二三十元位のもので、売る奴も買う奴も、西瓜か、植木鉢でも売買するようにあつち向けたり、こつち向けたり、手足を伸ばしてみたり叩いて見たりして値踏みし、それからやつと相談が決る、之らの少年は八分通り誘拐されたもので、転売又転売終に目鼻立ちのいい子はこういう真つ闇な社会に抛り込まれて、非人道な非人間的な運命の生活を送らねばならぬ、又中には親が、貧乏の為めとか或は娘が不義密通して因果の塊の始末に窮した結果人買いの手に売り渡すようなものもある。
 要するに恰も城内あたりの露店の骨董屋から青磁でも掘り出すようなものだ。
 そこで本当に上等の玉を手に入れようとするには相公堂主が自身直接さがしに出かけねばならぬ。
 堂主の鋭い眼は、路傍に遊ぶ子供の中から又何々世界などの遊劇場の群衆中から、眼光一閃でいい玉を選び出すことは頗る容易で、こいつは見込があると眼星がつけば堂主は事に託してその少年に話しかけたり、或いはその帰るのをつけて行つて住宅をつき止め、もしその家庭が貧乏であれば踏み込んで種々甘言を並べて買収して了う、もし上流の家庭の子であれば時に誘拐して他都市の相公堂に売り飛ばしてうまい汁を吸うこともある。
 そして一番上等の玉はいくら位かというに一童二三百元するは珍しくなく、飛切り上等になると五六百元に達する。
 之は大抵六七才から十二才位の子供で十三四才か或は十五六才のになれば値段はずつと落ちる。
 × × ×
 一体少年が相公として稼げる年限は、どの位かというに先ず十三才から十八才迄の五六年間で、二十を超えれば、どんな美しい少年でも売れなくなる。
 それは一は相公そのものが性慾衝動の悩みに堪え兼ね、今迄被動的感情に支配せられていたのが逆に即ち人間本能の作用は最早や完全にアクチーブになれずにいられなくなる。そうなると買う方でも嫌だし、従つて売れない、売れないから止めさせる、結局十三から十八までと制限し、北京あたりでは此の規定がチヤンと守られているそうである。
(終)


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