日本性見世物変遷史 潮マリ 発表年:1952

基本情報
作者:潮マリ
奇譚クラブ 1952年8月号 P42-P44 掲載
パブリックドメイン :保護期間満了の為

注意事項
●旧漢字は、現代漢字に変更している。
●転記時点での利倫理観に照らし合わせて、差別表現であったとしても無加工で転記している。
●仮名遣いは、読むのに影響が少ない割には昔感が残るので無加工とする。

タイトル
日本性見世物変遷史(にっぽんせいみせものへんせんし)


本文
 現在、劇場にそしてキャバレーに扇情的なストリップ・ショウ、秘密クラブ、性交映画、俗悪な裸、即ち性見世物なるものが氾濫しているが、これ等エロ・ショウなるものの現今までのその変遷を作者研究なる程を此の誌に出来るだけ詳しく記して行つてみたいと思う。実に興味しんしんたるものがある。とかくこの種見世物なるものは言をまたずして文化程度の低い年代に遡ればのぼるほど、それはグロと無分別さに富み、低級さは言語に絶するものがある。文化の発達と共にそれは同じ客を魅するものであっても、どこかにあか抜けのした真の色つぽさを呈し、次第に陶冶されて行つた様である。ほんとうの意味から性見世物は江戸時代であって、その認識は誠に全盛時代を髣髴させるものであつた。
 性見世物なるものが初めて効果に及んだのは室町時代からであつて、この時代に初めて「懐胎十カ月模様の見世物」というのがあつた。これは言うまでもなく女の懐妊から妊娠十カ月の様をいろいろ善男善女に説明し、又その懐妊の様をあからさまに器物を持つて実際に行わしめたものである。そして賽銭なるものを取りこれを喜んで客は色つぽい興奮のまなざしでみたのである。この口上の一説を述べてみるならば
「女人の玉門、三世出身也、一際皆仏身の飾物は女人の胎内に宿る道具也、はなせば仏の道具となり合すれば女人の道具と胎内に備わる。胎内一月目の形惣じて人間の生るる姿、みなこれ此の錫杖のはじめ、起りなりと」
又、
「男女一しづくの精液、女子の子宮に入りますれば時々子をはらむ、その日は形錫杖の如く、また桃の花の如しとなる」
この懐胎十月の見世物は、江戸時代になつて一層いろつぽく、しきりに性交の理、姿態技巧を論じ、出生の不思議を語り客をあほりたてたものである。誌上にあまりにその様を詳しく書くことの出来ぬのは残念であるが、これは当時の所謂生理衛生というものであつたがこれを悪用するに至つたわけである。
 次に生まれてきたものとしては不具者、畸形物の性見世物であつて、例えば両性(ふたなり)無膣女、無毛女、これと反対に多毛女、陰部肥太女、又男の性器肥太なるものなどである。そしてこの不具者達にあやしげな性の芸をしこみ、いかにも滑稽愉快に興味をそそつて見せたのである。この興行の様子を一寸と述べてみると、たとえば陰部肥太なる女を高い処に立たせ後には青襖をたて、男が扇を持つて口上をまくしたてたのである。
「この女子、越の国なにがし村に生れ、この度ひきえて普く人に見せてたてまつるなり」
 こう言つて彼女の陰部をおほつている薄絹を全部はらいのけ
「げに言いしにたがわず、大きさまさに天下一品、玉門開きて……子宮云々……」
 このような俗悪極まるものであつた。これと併行して手無し、足芸、ロクロ首、踊りせむし等のシヨウがあつたことは言うまでもない又鞄皮、硬頭、深目の変態シヨウ等もあつたが表題に少しはなれるので説明をはぶく事にする。
 次に大女の出現である。これも厳然とエロシヨウの中に入るものであつて丈七尺三寸、足の長さ一尺三寸、手の長さ一尺のまつ、又大女力持ちの滝、十六才で体重四十貫といわれる桜などこれらは皆その全裸を客に見せて興行を行いその変態的異性肉体に、やんややんやと客は拍手を送ったのである。これと共に小女の所謂ストリツプシヨウも出現した。身長二尺三寸、当年廿五才、面体形不美、だが乳房、性器は実に立派な隆起となやましさを持つて普通人以上である所に客は興味があつたのである。

 これより下つては腹芸というエロ・シヨウがあつたのである。即ち腹の上で色々の器物をたててみたり種々の軽業姿態をやってみせる。又足で生花をたてたり、縫物、三味線などを弾いた。そして性器で色々の業をみせた。その腹部と局部の線に実にエロチックなものがあふれ出たのである。
 以上はほぼ江戸時代以前にすでに性見世物としてあつたものであるが、江戸時代に入ると驚異的なものが出現している。本誌では一寸のべたことがあるが「やれつけそれ突け」である。その口上をみても驚く外はない。 
「さあ、さあ、御開帳、そりあ出た、出た。そう、出ちやたまらぬ、上見て、下見て、八文じや、安い——」
「——評判、評判おぼこ娘の玉門は、すいつきたがる、たこの評判凧の評判色の好きな奴は目付きで知れる、嫌いなお方がなにあるものか、そのわけだんよ」
 こう言つた口上に我も我もと、先を争つてのぞいたのである。普通三間ばかりのむしろ張りの小屋で行われもの、島田に結つて簪をかざり、こつてりと化粧して真赤な長襦袢につつまれ大きくひろげ高台に坐つている。その姿をちよいちよいとむしろをあげて通行人に見せ客を引き込む。これは特に江戸の盛り場両国に軒をならべていたものであつて客は竹棹の先端に陽物に形どつた軟らかいタンポのついたもので女の股間をつくのである。だがこの棹がシナシナしていて見当が狂い易く、女の方も修練を積んでいるので巧みに体をかわしなかなか命中しないのである。全くたまげた見世物である。女は股間に美しく化粧をし、陰毛で可愛らしい寸髷や島田髷を結つて、吹き出すような誠にふざけたものなのである。
 この頃牛娘、蛇遣いなぞも見世物として発達したのであつて、これは牛をたくみにあやつり又蛇をあしらつてその妙技をみせたまではよかつたが、これだけではすまず、牛の舌に触れさせて慾嬢情する姿を見せたりその他蛇をしのびこませたりする場面を大胆にも見せたのである。
 又女相撲となり、「取口拝見」と言つて、見物人のお好みにより男女のむつ言を聞かせ、閨房の実際をその始まりから終りまで、所謂四十八手うらおもてを公開したのである。(これは明和四年になつて漸く風紀上禁止されるに至つた)
 次にこれも江戸時代の見世物として、シヨウとまでは行かなかったが、大金玉乞食というのが現れているのである。
その金玉は米五斗を袋に入れた程大きく、形丸くして足を前の方へ組んで坐つた姿の頭より金玉の方を少し高く、前より見ると身体は陰嚢にかくれてみえない程なのである。又これとは異なつたのに大きさは米二三斗ほどの袋の大きさだが、朝の四つ頃より八つ半頃は大きく、夕方になると小さく半分程になつて首につつて帰つて行くという変つた大金玉乞食があつた。
「ふら、ふらつんだせ。金玉乞食」
 という流行歌まで当時ははやつた程なのである。
 これら乞食は金玉の上に鉦を置いて打ちならし、あわれさを乞い銭を貰つていたのである。
 この外湯屋の女湯のぞき場、婦女子の慰み事、即ちさまざまの器物、はり形を使つての行為の方法なぞを金を取つてみせていた所もあつた。
 この外同性同志の器物を使つての満足場面の姿をみせたりしたものなのである。
 まだまだ種々江戸の町にはおかしげな性見世物があつたのだが、以上は代表的なものばかりなのである。
 何がなんと言つても日本人が世界の中で一番スケベーあると言うことは、以上の諸見世物をみて、はつきりとうなづける事である。これ以上の性見世物はまずないといえるであろう。いなむ事の出来ぬ事実である。
 明治五年における風俗取締令から次第にこう言つたエロ・シヨウはなくなり歌舞伎に、新派にそして新劇にと客は文化人として強く魅せられて行つた。
 現今その江戸時代における姿が長い間の抑制、底に根ざしていたものが湧き上がり、ここに自然の姿としてストリツプ・シヨウなるものが現われて、更に再び色を売る女劔戟と移つて行つたものとみることもあながち誤ちではあるまい。これは誰しもがうなづける事実であろうと思う。
 今回は日本の性見世物、現今のストリツプシヨウに移る変遷をのべるにとどめ、いづれ機会をあらためて、その一つ一つについて歴史的背景、時代風俗と相まつてくわしく述べて行きたいと思う。
 又性見世物と類を同じくする、枕草紙、戯画、張子、子おろし医者まで及ぼうと思う。
(完)

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