【旅行記】東京出張と新宿二丁目と性教育と博物館
日帰り東京出張のミッションが夕方に完了し、最終新幹線までの時間を使って
タイミングが合った『セックスミュージアム 設立準備委員会』が開催されている
『性教育と博物館』を見に行くことに。
情報は前回の東京出張にて、『カストリ書店』で手に入れてリーフレット一枚もって
前知識なしで新宿へ降り立った。
まずは、175°DENO担担麺TOKYOで腹ごしらえ。残念ながら銀座店のほうが美味しかった。(十分美味しいんだけど)
出鼻を挫かれつつ地図アプリに住所を入力すると、新宿二丁目である。
幸か不幸か男色の気は無い為、今まで用事はなかったが聞きしに勝る濃い街だった。
会場の入っている雑居ビルも中々の雑居具合…ビル自体もメインストリートではなく
路地から入るので、気分はハンター試験会場。
扉を開けると試験官はいなかったが、皆さんキャラが立っておられる。
検査ですか?と問われたが、こちらも幸か不幸か心当たりがないので展示を見に来たと伝えると。お構いなしな感じで放っておいてくれた。
男性だからと身構えるのは、心のどこかに偏見があるのかもしれない。
肝心の展示は、小規模であった。内容は実際に海外の博物館で実施されている性教育コンテンツの紹介がメイン。展示的には周りのゲイコンテンツのほうが充実していたのは、さすが新宿二丁目といったところだ。ガチMな掘るスコープコンドーム(illust by 藤本 郷)と自分に似てそうは眼鏡野郎コンドームをちゃっかりゲットし、申し訳程度の募金をしておいた。
閑話休題
展示をみて、性教育について考えてみた。
そもそも、正しい性教育とは何なんだろうか?
私は個人の尊厳が保たれているのであれば、買売春は正しいと思う派(ただし現在に置いても、過去の歴史においても搾取された売春が根絶されたことはないとは認識している。)母体の意思と安全が考慮された中絶も肯定する。(悲しいことであることだとは思う。避けれるのであれば避けるべき)そもそも、世が世なら迫害されててもおかしくないくらい性癖ねじ曲がっている。その上で、無い頭で考えてみた。
性というのは、常に移ろうものであり、善悪や正誤を決めれる物ではない。
人権としての性教育の必要性はあると考える。それは義務教育レベルで、自己の精神と肉体は自己が保有しその権利を行使できる事と生物学的な生殖行動を教える事を言う。
博物館で性教育をする場合、それは性教育ではなく性そのものを博物するべきではないだろうか。近年開催さえた春画展などが該当するだろう。あくまでフラットに好奇心のみを刺激し、内なる発見を得る。セクシャルなコンテンツだからと考えるのではなく、
純粋なコンテンツとして性を扱うのが博物館の正しいアプローチと考える。
●結論
共感できる部分あったが、正しさの評価が難しいと思う。
教育の為の施設では、なかなか人の心には届かないのではないだろうか。
博物館が教育施設たる為には、狂気にもにた収集欲で集められた展示物群で
勝負してほしい。そうすれば、人々の心を動かしそのジャンルに興味を持つ。
それこそが、教育だと思う。
この意味では、熱海の秘宝館が参考になるのではないだろうか。
community center akta前に掲示されていたリーフレット
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